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ハンギョレ (9月22日付)                         

                                                         キム・トヒョン記者


似た格好の背景、似つかない政治色 
安倍ー福田“晒す、内なる憤怒”    


北-日首脳会談から葛藤の露出・・・小泉後任選挙で再激突    
机を足で蹴飛ばすなど“犬猿の仲”・・・安倍“沈没”政争ひと段落



“福田は、安倍が日本人拉致問題を、売名行為に利用している”と、絶えず非難していた。怒りが絶頂に達したある日、副官房長官室に押しかけて目の前で、「“この野郎!”と、机を足で蹴飛ばしてしまった」という。(週刊文春、最近 号)


去る12日、追い払うように、権力の座から退くと明らかにした、安部晋三(53)日本総理と、後任総理が確実視される福田康夫(72)前官房長官。有力政 治家門の二世議員だが、父親の秘書として政界に入門した晩学の政治家、自民党の同じ派閥である清和政策研究会(町村派)所属など共通点が多い。


そうであるのだが、二人の政治スタイルは、相当に違いが見られる。二人は、過ぎる5年の 間、激烈な闘争を3回も行って、今は“犬猿の仲”と呼ばれるぐらい二人の仲 の溝は深い。


二人の“腐れ縁”は、小泉純一郎総理の執権時代だった2002年に逆のぼる。 小泉総理の電撃訪北(北韓訪問)と、北日・平壌宣言は、当時官房長官だった福 田と田中均アジア大洋州局長の、合作品として広く知られていた。北-日首脳会談で金正日国防委員長が、日本人拉致の事実を是認した後、二人の 葛藤は公然と露出され始めた。 金委員長の謝罪を、受けねばなら無いと声を高めた安倍、当時副官房長官は沸騰する反北世論にのっかり、北-日協商に急制動をかけた。


かれは北韓との合意 を壊し、日本に一時帰国した拉致被害者5名を、北韓に返せないように妨害した 。北-日関係改善の水路を開いた田中と後ろで力を支えていた福田は憤激した。 福田は、外務省と米国などを通して、安倍に機密情報が流れ出ないように努める ことを伝えた。


反撃に立った安倍は、当時、派閥会長であると同時に後見人で ある森善朗前総理大臣に“あの人の下では、仕事をすることは出来ない。副長官 を辞めたい。”と、不満のこえを出すなど福田追い出しに進み出たと言う。


以後安倍は自民党幹事長として重用されるが、福田は2004年5月、年金未納 の波動で官房長官職を辞めなければ成らなかった。二番目の対決は、昨年小泉総理の後任を選ぶ、自民党総裁選挙の過程で繰り広げられた。森前総理は当時、福田を擁立する為に、安倍を落とそうと努めた。


参議院選挙の敗北が予想されるからには、安倍を“保護”せねばならないと言う論 理まで動員した。安倍の激しい反発で水泡と帰した。 安倍は、森が福田の話を持ち出すや「そうであれば派閥を脱退しても出馬する」と名簿帳に載せたと言う。


決断を下すことができなかった福田は、北韓のミサイル試験発射で、日本内部の反北感情が一層悪化する、直ぐ出馬を放棄した 彼が安倍と一緒に、総裁の席を争うことに成れば父親(福田赳夫元総理)が作った派閥が壊れるかもしれないと憂慮するとの、はなしも聞く。


三番目の喧嘩は、7・29参議院選挙の自民党惨敗で、さる12日、安倍の突然 の辞任の発表までの、一連の過程で起きた。安部が総理職辞任のタイミングを失って、だらだら欲をかくのは、福田を意識した為だと言う分析が有力だ。


彼は、“福田カード”を押し込む森元総理など、党内実力者らの勧告を拒否した 。当時“ここで逃げ出すのは駄目だ”という、麻生太郎外務大臣の話を取り入れて、総理職留任を宣言した。


8月27日党情改編と言う、「とりつくろい策」を 取り出して、政治的同志になった麻生を幹事長に任命して、自身の後任者である ことを明らかにしたが、結局、同伴沈没してしまった。 福田は、とうとう、自身が主張して来た”待つことの美学“で権力を手に入れることと成った。


「慎重居士」という別名らしく、度外れた消極的歩みを見せてき た福田は、「福田待望論」に同参した派閥の推戴形式で、総裁選挙にたった。 他人に、頭を下げることが出来ないことで有名な彼は、しかし今回では少し変わった姿を見せている。記者らの接近を避けて来た彼は、特別な用事がないのに若い記者にまで電話をかけて食事に招待していると言う。街頭演説でも積極的身振りで大衆に近ずこうと努めている。70を越えた年令で、大衆政治家として変身を試みていると言うことだ。(訳・ 柴野貞夫)